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高足膳
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==概要==
[[File:takaashizen089.jpg|300px|右|サムネイル|'''高足膳'''(たかあしぜん) <br>高19×幅28.5×奥行28.5×深3cm<br>足:高15.5cm]]
[[File:takaashizen090.jpg|300px|右|サムネイル|'''高足膳'''(たかあしぜん) <br>高18.5×幅33.5×奥行33.5cm]]
'''高足膳'''(たかあしぜん)とは、大膳、足つき膳で主として来客用の膳として使用されていた。<br>
「お膳」の歴史は1200年ほど前に公家社会で使われていた「折敷」(おりしき:足のないお膳のようなもの)から始まったといわれている。やがて「折敷」に足がつき、江戸時代に「お膳」の形になり、庶民に浸透したのは江戸後期から明治時代のことである。当時、日常では2枚の板を足にした「[[木具膳]](きぐぜん)」などの簡素なお膳を使い、正月や祝い事、お客様用には、足が蝶の羽を広げた形の「[[蝶足膳]](ちょうあしぜん)」や茶道具から生まれた「[[宗和膳]](そうわぜん)」が用意されていた。<br>
福井県では戦前まで「報恩講(ほうおんこう)と呼ばれる浄土真宗の仏事習慣が各家庭で行われており、その際に使うお膳として、各家庭で「宗和膳」を用意していた。
また、お喰い初めで使用するお膳を「'''喰初膳'''(くいぞめぜん)」といい、男児は「総朱塗り '''足附膳'''」で、女児が「黒内朱塗り '''高足膳'''」を使う。男女により色が異なる理由はわかっていない。<br><br>
==別名==
*高足膳(こうそくぜん)とも言う。
<br><br><br>
==関連項目==
*[[会席膳]]
*[[箱膳]]
<br><br><br>
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[[Category:飲食器]]
[[Category:食生活]]
[[Category:民具]]
[[Category:民俗]]
==概要==
[[File:takaashizen089.jpg|300px|右|サムネイル|'''高足膳'''(たかあしぜん) <br>高19×幅28.5×奥行28.5×深3cm<br>足:高15.5cm]]
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'''高足膳'''(たかあしぜん)とは、大膳、足つき膳で主として来客用の膳として使用されていた。<br>
「お膳」の歴史は1200年ほど前に公家社会で使われていた「折敷」(おりしき:足のないお膳のようなもの)から始まったといわれている。やがて「折敷」に足がつき、江戸時代に「お膳」の形になり、庶民に浸透したのは江戸後期から明治時代のことである。当時、日常では2枚の板を足にした「[[木具膳]](きぐぜん)」などの簡素なお膳を使い、正月や祝い事、お客様用には、足が蝶の羽を広げた形の「[[蝶足膳]](ちょうあしぜん)」や茶道具から生まれた「[[宗和膳]](そうわぜん)」が用意されていた。<br>
福井県では戦前まで「報恩講(ほうおんこう)と呼ばれる浄土真宗の仏事習慣が各家庭で行われており、その際に使うお膳として、各家庭で「宗和膳」を用意していた。
また、お喰い初めで使用するお膳を「'''喰初膳'''(くいぞめぜん)」といい、男児は「総朱塗り '''足附膳'''」で、女児が「黒内朱塗り '''高足膳'''」を使う。男女により色が異なる理由はわかっていない。<br><br>
==別名==
*高足膳(こうそくぜん)とも言う。
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==関連項目==
*[[会席膳]]
*[[箱膳]]
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[[Category:民俗]]