その翌年、1854年(安政元年)、横浜に再来航したペリー艦隊は、第13代将軍「徳川家定」へ数々の珍しい献上品を贈った。その献上品の中にシウイングマシネ(sewing mashine の和式発音)があった。<br>
日本にミシンが初めて伝来したのは、この1854年(安政元年)とされている。<br>
ミシンを初めて使用したのは、家定の御台様「天璋院敬子(てんしょういんすみこ)」(通称:篤姫)で言われている。但し、伝来したのと、初めて使用したのは、少しその意味に違いがあり、資料によっては、家定の御台様「天璋院敬子(てんしょういんすみこ)」宛てに贈られたとされる記もあるが、時代背景からして前者(徳川家定に贈られた)が、本当のところではないか。ミシンを初めて使用したのは、家定の御台様「天璋院敬子(てんしょういんすみこ)」(通称:篤姫)で言われている。但し、伝来したのと、初めて使用したのは、少しその意味に違いがあり、資料によっては、家定の御台様「天璋院敬子(てんしょういんすみこ)」宛てに贈られたとされる記もあり、時代背景からも前者(徳川家定に贈られた)が、本当のところではないか。<br>
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1860年、遣米使節団に同行した通訳:中浜万次郎(通称:ジョン万次郎)が、写真機と手回しミシン|[[手廻しミシン]]を持ち帰っている。<br>