手廻しミシン
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概要
ミシンが、日本へ伝わったのは、これまた、色々な説がある。
有力な説としては、1854年に、アメリカのペルー提督が、第十三代将軍家定夫人の敬子(すみこ)に献上したのが最初と言われている。実際には、将軍家家定自身への献上品だったと推測されている。
1853年(嘉永6年)は、黒船が、日本へ初めて訪れた年で、アメリカ、ペリー提督率いる東インド艦隊の軍艦4隻が、江戸湾浦賀沖に現われ、時の江戸幕府に開港を要求した。
その翌年、1854年(安政元年)、横浜に再来航したペリー艦隊は、第13代将軍「徳川家定」へ数々の珍しい献上品を贈った。その献上品の中にシウイングマシネ(sewing mashine の和式発音)があった。
日本にミシンが初めて伝来したのは、この1854年(安政元年)とされている。
ミシンを初めて使用したのは、家定の御台様「天璋院敬子(てんしょういんすみこ)」(通称:篤姫)で言われている。但し、伝来したのと、初めて使用したのは、少しその意味に違いがあり、資料によっては、家定の御台様「天璋院敬子(てんしょういんすみこ)」宛てに贈られたとされる記もあるが、時代背景からして前者(徳川家定に贈られた)が、本当のところではないか。
1860年、遣米使節団に同行した通訳:中浜万次郎(通称:ジョン万次郎)が、写真機と手回しミシンを持ち帰っている。
また、遣米使節団のの様子を描いた当時の「米行日記」にも、アメリカで観たミシンの事柄が、刻明に記されている。
関連項目