鏡台
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概要
鏡台(きょうだい)
近年、鏡台のある家庭は少なくなったが、昔は婚礼家具のひとつとして欠かせないものであった。
鏡の起源は池などの水面に自分の姿形を映しだす、水の鏡と考えられている。その後銅鏡が中国より持ち込まれたが、化粧をするためのものではなく、呪術用や祭祀〔さいし〕用具として使われていた。
平安時代頃から貴族たちの間で化粧(当時、髪型・服装などを整えることも含まれる)をする習慣が起こり、鏡を五本脚で支える丈の短い柱にかけたことが鏡台の始まりだといわれている。しかし、この頃も鏡は神聖視され、立って鏡を見ることは、良くないことだとされていた。
化粧道具を入れる手箱(結髪・理容・化粧道具入れとして使われた箱)と鏡かけを一緒にした今の形に近い鏡台は室町時代に出現した。
江戸時代になって鏡の大量生産が可能になり、庶民の生活にまで普及した。この頃までの鏡は銅と錫[すず]の合金製で、使ううちに曇ってしまう。そのため当時は鏡磨き職人が存在した。その後明治時代には、手入れが簡単で文明開化のシンボルといわれたガラス鏡製の鏡台が、女性の憧れとして急速に普及した。
工業デザイナーの豊口克平らによって整理だんすに鏡をつけた新しい形の鏡台が登場し、昭和34年にドレッサーと名づけられた。その後、ドレッサーには椅子がつけられ、住居が洋風化するとともに、ドレッサーが主流になりました。現在では鏡台というとこのドレッサーのほうを思い浮かべる人も多い。
出典:鏡台|日本文化いろは事典
関連項目