「花見弁当箱」の版間の差分

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木製の三段重ねの重箱で、それぞれ深さが異なっている。この三段の重箱を木製の箱に入れて持ち運ぶものである。いわゆる現代のピクニック用弁当箱で、明治、大正時代に花見などに使われていた。 
 
木製の三段重ねの重箱で、それぞれ深さが異なっている。この三段の重箱を木製の箱に入れて持ち運ぶものである。いわゆる現代のピクニック用弁当箱で、明治、大正時代に花見などに使われていた。 
 
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*遊山箱
 
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徳島の方では、3段重ねの小さなお弁当箱を遊山箱と呼ぶ。<br>
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子供の初節句に、女性の里から嫁ぎ先に贈られる道具で、大正から昭和30年ごろまで節句のハレのものとして、子供達がそれぞれ自分の遊山箱を持っていた。<br>
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:子供の初節句に、女性の里から嫁ぎ先に贈られる道具で、大正から昭和30年ごろまで節句のハレのものとして、子供達がそれぞれ自分の遊山箱を持っていた。<br>
古くは、弁当を入れる箱を言い、家族や親戚が揃って花見などに出かける際に持参したことから、遊山箱と呼ばれたのではないか。
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==関連項目==
 
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*[[行李弁当箱]]
 
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2016年5月16日 (月) 01:22時点における最新版


概要[編集]

ピクニック用弁当箱:明治、大正時代に花見などに使われていた。
箱:高17.5×幅14×奥行14.5㎝
お重:高15×幅12×奥行12㎝(3段)

木製の三段重ねの重箱で、それぞれ深さが異なっている。この三段の重箱を木製の箱に入れて持ち運ぶものである。いわゆる現代のピクニック用弁当箱で、明治、大正時代に花見などに使われていた。 

別名[編集]

  • 遊山箱
徳島の方では、3段重ねの小さなお弁当箱を遊山箱と呼ぶ。
子供の初節句に、女性の里から嫁ぎ先に贈られる道具で、大正から昭和30年ごろまで節句のハレのものとして、子供達がそれぞれ自分の遊山箱を持っていた。
古くは、弁当を入れる箱を言い、家族や親戚が揃って花見などに出かける際に持参したことから、遊山箱と呼ばれたのではないか。




関連項目[編集]